身近にある新宿歴史博物館
わかばの風法律事務所のビルの目の前は小規模の三栄公園がある。近所の子供たちの遊び場であり、年に数回は町内のお祭りやボランティア企画などでにぎわう憩いの場である。大きな銀杏の木があり、冬場には黄金の葉を光らせて美しいが、2011年3月11日の東日本大震災の時には緊急の避難場所にもなり、ビルを飛び出して公園に待機した記憶がまだ生々しい。ともかく、小ぶりだが何かにつけ市民にその存在をアピールする公園である。
さて、公園の隣には新宿通り方向に四谷税務署があるが、それとは反対の方向に新宿歴史博物館があるのをご存じだろうか。四ツ谷駅から四谷3丁目の間の、新宿通りからは一本奥に入った通り、通称三栄通りからは横道に入るが、その一角に白いブロック石の装飾道路が続き、急に落ち着いた閑静な風情の道を歩いて150メートルも行けば、小じんまりとしているものの3階建ての新宿区立の博物館がある。こんなに近くにいてもこれまで2,3回しか足を運ぶことはなかったが、時々気にはなっている博物館である。
玄関前の横には、旧四谷見附橋の欄干の一部が展示されている。この橋は1913年に作られ1991年に架け替えられて、今も多くの人が行き交う橋として今日に至っているが、当時のバロック様式の鉄骨の一部がここに保存されている。
3階建てのうち地下1階が常設展示室と企画展示室となっていて、今、企画展示室には皆さんご存知の紀伊国屋書店のその創業者である田辺茂一生誕110年を記念して、田辺茂一と新宿にゆかりの深かった作家50人の直筆原稿と写真、似顔絵が展示されている。
さて、常設展示室は大方の歴史博物館がそうであるように、縄文時代の土器から中世、そして江戸から近代へと新宿の歴史を追っている。
江戸の新宿といえば内藤新宿、甲州街道の宿場町が有名。名所江戸百景の浮き世絵にも描かれている。絵の右半分が馬のお尻と足で大胆に描かれたデザインチックなあれである。この宿場町を起点として青梅街道と甲州街道が分かれてゆくが、これは現在もそのまま同じである。
昭和初期の展示では、復元された文化住宅の模型がある。大正末から昭和の初めにかけて、山手線の外側にサラリーマンの住宅が立ち並んだという。小規模の和風住宅の小さな玄関わきに、洋瓦・洋しっくい仕上げの洋間の応接をつけて流行した「文化住宅」である。4畳半の茶の間には丸いちゃぶ台があり、夕餉の献立が乗っていたが、何故か、当たり芸「清水の次郎長伝」を演じた二代目広沢虎造の浪曲が静かに流れていたのが、僅かに残る幼いころの記憶の妙にノスタルジックな感情を誘うのであった。
皆さんもちょっと足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
2015年6月30日 森田太三